| □ 伊茶仁〈いちゃに〉 |
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地名解では『ichani“鮭ノ産卵場”イジヤニ又イザリと云ふは訛なり』とイチャン・ウニichan-un-iのなまったもので鮭鱒の産卵場のある所の意味と、今は川と集落の名となっている。集落の北のはずれは標津・目梨の郡境でイチャニケシと呼んだ。秋には付近一帯の海岸線に鮭釣りの竿が並ぶ。 |
| □ 三本木〈さんぼんぎ〉 |
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知床日誌には『サンホッキ、魚懸棚と云義、東西クナシリに対して眺望よろし』と記されている。地名解では『 saun hugi「サヌ・フギ」“前の濱”で松浦氏は誤聞した』と書いてあるが、最近の説ではサン・ホルキ san-hork-i で出崎のため川水が後戻りすると云う事のようだ。気になるのは道内で見るhorkaは其の川の形が全体的に河口、もしくは本流に向かって大きく回り込んでいるのが多く、標津川の様に本流の一部が逆戻り戻りしているのは知らない。今はショートカットで面影すら無いが。遺蹟の名前 |
| □ カリカリウス カリカリウス遺蹟 |
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地名解では『 karakara-us-i カルカルウシ“鷲鳴ノ小川”』とあるが?・・ 標津町のポー川横の丘陵に広がる1000年〜3000年前の遺跡群で竪穴住居跡が1500以上という道内最大規模のもの。古い地名からカリカリウス遺蹟と呼ばれている。その意味だが手持ちの資料では何とも言えない。古いアイヌ語ではkarは鳥のことも意味することがあるようだという事を聞いたことはあるが僕の手には余る。ついでに云うとこの地方は鷲の猟場でもあったようだ。時々熊もでるので閉鎖になることも。 |
| □ ポー川〈ぽーかわ〉 |
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伊茶仁川の南支流でポー川史跡自然公園として保存されている。意味が良く判らない地名だったが松浦武四郎の図面ではそこはフルホクと呼ばれていたようだ。地名解では『 huru-pok 丘蔭』となつている。山田秀三氏は hur-pok で丘の下と説明をされていた。公園内の標津湿原(国の天然記念物)に設けられた木道を抜けるとポー川がある。川を渡った所にカリカリウス遺蹟の石碑があり直ぐに高台に登る。此処には広範囲にわたって古代の遺蹟が分布しているが其の一部に住居が復元されている。キャンプ場もあったが殆ど使われていない。 |
| □ 標津〈しべつ〉 |
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知床日誌に『シベツは、シベツヲの訛り、鮭有る義なり』とあるのを地名解では『大川(シベオツ)鮭居る処の説あるも非なり』としている。標津町史では大川の説を採用しているようです。ただそれにしては松浦地図にも名前があり今も残るモシベツ川がどういう扱いになるのか。支流に対してsi-pet本流の可能性はあると思う。最近はイトウも姿を消した様だ。 |
| □ 茶志骨〈ちやしこつ〉 |
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チャシ・コツは砦址のことだが茶志骨にはオンネチャシ、タブ山チャシ跡と浜茶志骨チャシ跡の3ヶ所あり付近に竪穴が多かったという。古い地図ではオン子チャシコツonne-chashi-kotとあるという。チャシの性格から云えば大事なチャシか年老いたと言う方が良いのかもしれない。大きさだけで云うならタブ山チャシが大きいような気がするが。 |
| □ 当幌〈とうほろ〉 |
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元々は標津町と別海町の町堺を流れる釣り人には有名な川で、地名解では『to-horo トーホロ“沼川”アイヌ云ふ「ホロ」は川の義』と、「戊午志辺津日誌」では『トウボ トウホは沼有る義』と此処では従来のト・ホロ〈沼の・川〉とは異なった説明をしている。沼が大きいというのなら小さい沼の存在がいるが・・・河口で云うなら川と沼の区別は難しい所もあるが・・ |