標津町の地名を巡る


□ 植別川〈うえべつかわ〉

 永田地名解では『weu-petウェン・ベツ悪川』として2例を記載している。上原熊次郎地名考や松浦氏知床日誌でもぞれに悪い理由がはっきりしている。これ自体珍しいことだがそれぞれに悪い理由が違う。その中で溺死と悪路とが同じ理由によるものではないかと考えてみた。河口では融雪時を除けばおぼれるような川では無いが川の奥に入ると峡谷になり、函の中を泳ぐ事や激流の渡渉など大変な難所で、落ちれば溺れたりする可能性は今と違いかなり高かったと思う。釣り人には憧れの地で僕は三度挑戦して三度ともみごとに敗退したが・・・

□ 崎無異〈さきむい〉

 地名解では『sakipe-moiサキベモイ“鱒湾”一説「シャクモイ」夏湾の義此湾夏日鱒漁を為す故名く』と。古い地図にはサケペモイとあるがsak-ipeは夏の魚と呼び鱒のことを意味する。それでも意味は何となくわがスッキリはしない。元崎無異川の元もmo-otaかmoなのかこれも今となってはわからないようだ。鱒釣りのエリアとしては面白いところだが。

□ 薫別〈くんべつ〉

 地名解では『kunne-pet“黒川”此川の魚黒し故に名く』と。知床日誌には『暗川と云義』とあるが更科地名解では魚が黒いのは川底の色に合わせての保護色という説明をしている。実際に川を見てみると確かに黒いところもあるし中流域は函を作り暗いが上流はむしろ白っぽい。魚が黒っぽいのはオショロコマに関して云えば間違いなく他に比べると黒い。鮭や鱒に関しては長年の孵化放流事業によってその川特有の個体群が殆どなくなってしまった今では確かめようが無い。秋には多数のサケが遡上する観光ポイント。上流に有名な薫別温泉がある。

□ 古多糠〈こたぬか〉

 地名解では『kotanoka コタノカ“村跡”コタンオカケに同じ、往古アイヌ村アありしときは「コタヌカ」と云いたり。コタンウカの急言にて村上の義なり。コタンケシ即ち村端に対したる名なり』と説明している。最近海岸の浸食が激しい。

□ 忠類〈ちゅうるい〉

 元来は川の名でサマツケヌプリ山に発して国道に沿うようにして流れ下り根室海峡に注ぐ。thiu−ruiチウ・ルイは波、水流・激しいの意と言うことで急流を意味するが河口近くや中流域は穏やかな清流です。此川は金山の滝付近より上流で一休橋まで間は急流のレベルを遙かに超え渇水期以外は遡航は極めて困難で、ベテランの釣り人でも簡単には入れないところだ。釣師の視点で云うと時期を選べは安全ではあるが遡行が困難な所が有るのがthiu−rui命がけになる可能性があるのはweuという具合に押さえておいた方が良いかも。斜里に越える道筋となっているため特に此の名があるのかもしれない。

□ 瑠辺斯〈るべす〉

 ru-pes-peルペシペで山を越えてむこうがわにある路に降りていく路のある川。斜里へ抜ける新道が出来たとき駅逓がおかれたときには留辺蘂、瑠辺蘂などがあり瑠辺斯の字をあてたようだ。今は国道が走り途中に標津十景の金山の滝がある公園がある。スキー場の方に行くと女滝の方も見られる。

□ カスシナイ川

 忠類川の本流からわかれて国道に沿って右手の沢へ入る川で幾品川と交差している。カスィは渡渉するという意味かあるというが〈地名アイヌ語小辞典〉kasui-us-nayカスィ・ウシ・ナイで渡渉いつもする川。多分此川から山越えして幾品川に入り斜里方面に抜けたのだろう。それにしてもこんな川を良く歩いたものだ。

□ 伊茶仁〈いちゃに〉

 地名解では『ichani“鮭ノ産卵場”イジヤニ又イザリと云ふは訛なり』とイチャン・ウニichan-un-iのなまったもので鮭鱒の産卵場のある所の意味と、今は川と集落の名となっている。集落の北のはずれは標津・目梨の郡境でイチャニケシと呼んだ。秋には付近一帯の海岸線に鮭釣りの竿が並ぶ。

□ 三本木〈さんぼんぎ〉

 知床日誌には『サンホッキ、魚懸棚と云義、東西クナシリに対して眺望よろし』と記されている。地名解では『 saun hugi「サヌ・フギ」“前の濱”で松浦氏は誤聞した』と書いてあるが、最近の説ではサン・ホルキ san-hork-i で出崎のため川水が後戻りすると云う事のようだ。気になるのは道内で見るhorkaは其の川の形が全体的に河口、もしくは本流に向かって大きく回り込んでいるのが多く、標津川の様に本流の一部が逆戻り戻りしているのは知らない。今はショートカットで面影すら無いが。遺蹟の名前

□ カリカリウス カリカリウス遺蹟

 地名解では『 karakara-us-i カルカルウシ“鷲鳴ノ小川”』とあるが?・・ 標津町のポー川横の丘陵に広がる1000年〜3000年前の遺跡群で竪穴住居跡が1500以上という道内最大規模のもの。古い地名からカリカリウス遺蹟と呼ばれている。その意味だが手持ちの資料では何とも言えない。古いアイヌ語ではkarは鳥のことも意味することがあるようだという事を聞いたことはあるが僕の手には余る。ついでに云うとこの地方は鷲の猟場でもあったようだ。時々熊もでるので閉鎖になることも。

□ ポー川〈ぽーかわ〉

 伊茶仁川の南支流でポー川史跡自然公園として保存されている。意味が良く判らない地名だったが松浦武四郎の図面ではそこはフルホクと呼ばれていたようだ。地名解では『 huru-pok 丘蔭』となつている。山田秀三氏は hur-pok で丘の下と説明をされていた。公園内の標津湿原(国の天然記念物)に設けられた木道を抜けるとポー川がある。川を渡った所にカリカリウス遺蹟の石碑があり直ぐに高台に登る。此処には広範囲にわたって古代の遺蹟が分布しているが其の一部に住居が復元されている。キャンプ場もあったが殆ど使われていない。

□ 標津〈しべつ〉

 知床日誌に『シベツは、シベツヲの訛り、鮭有る義なり』とあるのを地名解では『大川(シベオツ)鮭居る処の説あるも非なり』としている。標津町史では大川の説を採用しているようです。ただそれにしては松浦地図にも名前があり今も残るモシベツ川がどういう扱いになるのか。支流に対してsi-pet本流の可能性はあると思う。最近はイトウも姿を消した様だ。

□ 茶志骨〈ちやしこつ〉

 チャシ・コツは砦址のことだが茶志骨にはオンネチャシ、タブ山チャシ跡と浜茶志骨チャシ跡の3ヶ所あり付近に竪穴が多かったという。古い地図ではオン子チャシコツonne-chashi-kotとあるという。チャシの性格から云えば大事なチャシか年老いたと言う方が良いのかもしれない。大きさだけで云うならタブ山チャシが大きいような気がするが。

□ 当幌〈とうほろ〉

 元々は標津町と別海町の町堺を流れる釣り人には有名な川で、地名解では『to-horo トーホロ“沼川”アイヌ云ふ「ホロ」は川の義』と、「戊午志辺津日誌」では『トウボ トウホは沼有る義』と此処では従来のト・ホロ〈沼の・川〉とは異なった説明をしている。沼が大きいというのなら小さい沼の存在がいるが・・・河口で云うなら川と沼の区別は難しい所もあるが・・


標 津 町 関 連 リ ン ク


浜中 厚岸 網走 斜里 釧路町 釧路市 弟子屈 羅臼 中標津 紋別 別海 根室 標茶 鶴居 足寄